オフィス鴻

イスラエル・パレスチナ問題1

2024年03月08日

かつてパレスチナにあったユダヤ王国にいたユダヤ民族は帝政ローマ帝国により滅ぼされ世界中に離散し、各地でユダヤ人がキリストを殺害したと迫害や差別を受けたり、第二次世界大戦でもホロコーストにより多くのユダや人が迫害・殺害されたと言います。また、パレスチナのエルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地が重なりあった、宗教上も非常に重要な地域です。

その後、金融業を中心に各地で富を築いてきたユダヤ人が自分たちの国家を作るシオニズム運動と、第一次世界大戦でのイギリスの三枚舌外交政策(オスマン帝国を崩壊させ、フランスとイギリスで領土を分割支配する密約)が更にこの問題を複雑にしました。現在のイスラエルは1948年にパレスチナ地区にユダヤ人国家を作る建国宣言を行いましたが、一部のパレスチナ人が難民化して周辺国への避難を余儀なくされました。当然、パレスチナ側は反発し、同年には周辺のアラブ諸国がイスラエルに攻め込む第一次中東戦争が勃発し、1967年の第3次中東戦争では、イスラエルが休戦ラインを越えてパレスチナ人に与えられていた領土を占領します。

この戦争以降イスラエルは加害国と言われるようになり、イスラエルのシャロン首相(右傾化)のエルサレム訪問やパレスチナ支配地内にヨルダン川西岸に700kmにわたって8mもの壁を作りました。その後、国連でのオスロ合意も反故にされ、湾岸戦争やイラクのクエート侵攻なども影響して中東周辺国にも紛争が拡がりました。また、パレスチナ解放機構のアラファト議長(暫定自治政府のトップ、2004年死去)が武装闘争を展開しましたが、後任の穏健派のアッパス議長でも和平交渉は進まず、イスラム教の教義を厳格に守るハマスによるテロ行為が起きます。そのため、周辺国やアフリカでもイスラエルと国交を結ぶ国が増え、かつて世界の警察と呼ばれたアメリカもユダヤ系ロビー団体の圧力で与野党ともにイスラエル寄りの姿勢を鮮明にしています。