深考習慣と成果報酬
2024年03月29日
絶対に実現不可能と思われることを成し遂げるには、常識を超えた目標設定とクレージーと呼ばれる他者とは比較にならない過酷な環境を辛酸をなめながらも進んでいくことが必要だと言われます。また最近は、ゆるブラック企業やホワイトすぎる有名企業では自身の成長や将来像が見えないとして、自らを過酷に鍛えてくれる企業へと転職する優秀な社員も多いと聞きます。編集人も、非常に個性の強い上司の下で働いたことがありますが、「完璧な経営計画は作成できても、最後まで完結させることが最も難しい(多少意訳あり)」という言葉と、海外勤務のチャンスを与えて頂いたことはその後の社会人生活の1つのアイデンティティーとなったと感謝しています。
例えば、経営陣から質問が投げられたときに適切な語彙力でその場で返答できなければ、英語でいうところの「So what?(それで何が言いたいの)」の状態となりかねません。また、単に語彙力を増やす方法として慣用句などを再び学びなおしても、知識を知っていることと実際に使うことは全く次元の異なるものだと考えています。そのため、歴史文学であったり自身の専門分野以外の書籍を読書することで、必ず自分が知らない、または使い方が曖昧だと思えば調べることができ、その繰り返しが使える言葉(アウトプット)として自分の思いをより伝えることができれば、相手の琴線に触れた会話として大いに役立つと思っています。実際に、日頃から深考習慣のあると思われる方のデスクの周辺(最近はフリーデスクやKindleも多いですが)には異なったカテゴリーの書籍や資料があることが多く、会議等でも的を射た議論ができるように思います。
なお、社会人として企業に所属していると明らかに理不尽な人事が行われていることが少なくありませんが、そこを受け入れられなければ転職という選択肢もあります。それより、自分がワクワクするするような仕事が企業内でできるのなら、多少の役職や報酬の違いや理不尽さを気にしないようにすれば、いずれは成果と言う形で有形無形のご褒美があると経験上感じます。