渋谷の街
2025年05月27日
編集人は20歳代で青山に本社のある商社に転職して以降、転勤期間(3年)を除いて必ず渋谷駅が通勤ルート上にありました。渋谷は以前は谷底の位置にあたり水害が多い地区で、さらにいくつかの地下鉄(改修を含む)等が新設されたことで非常に複雑なターミナルでしたが、ここ10年程で一気に再開発が進み人混みが苦手な編集人は年数回実家に帰るとき以外は降りることがなくなりました。中高も渋谷で乗り換えていましたので、今から50年ほど前の渋谷はハロウィンでにぎわうような街ではなく、どちらかと言えば大人が気軽に遊べるところだったように記憶しています。よく学園祭等の後(高校時代)には安い居酒屋で打ち上げをさせてくれる飲食店も多く、場所によっては昭和レトロの雰囲気が満ちていました。
最近はヒカリエ、スクランブルスクエア、ストリーム、フクラス以外に桜が丘地区再開発(サクラステージ)などが次々に誕生して若い方や訪日客に人気だそうですが、現在工事中の旧東急百貨店東横店の上に東急東横線の始発駅(のちに地下で他線との乗り入れ)があったり地下鉄銀座線が外から眺められたことは昔の話になってしまいました。ただ「忠犬ハチ公像」や「モヤイ像」は今でも残っているそうで当時の記憶がよみがえります。言葉は悪いかも知れませんが、元々複雑だった渋谷が再開発によりよりわかりずらくなったと感じるのは、年のせいだけではなさそうです。特に桜が丘地区は様々なジャンルの店舗が狭い土地に入居して一種のカオス状態で、編集人の贔屓にしていた店も殆ど移転か廃業しているようです。
編集人の中で残されているのは渋谷セルリアンタワーのレストラン等で、良く仕事をしたり新たな構想を練る時に使っていました。料理人として名を馳せた菰田欣也氏と親交ができたのも、大竹学氏(現パレスホテル)のカクテルを楽しめたのもセルリアンであり良き思い出です。ただオーバーツーリズムを考えると、ニューヨークのタイムズスクエア的な場所に変化してきたのかも知れませんね。