オフィス鴻

国産航空機開発事業

2024年06月13日

第二次世界大戦敗戦後、1952年のサンフランシスコ講和条約発効に伴い日本の航空機製造産業が再開されました。戦時中は世界でもトップクラスの技術力を誇っていた航空産業ですが、製造はおろか研究や教育まで禁止されていた時代があったのです。当時の通産省(現経済産業省)が主体となり、日本初の国産旅客機であるYSー11国産旅客機製造計画がスタートしますが、既に初飛行から50年以上を経た2015年頃には殆どの役割を終えました。その後三菱重工業・航空自衛隊などが手掛けたMRI(スペースジェット旅客機)開発も、最終的には頓挫してしまい、現在では国策としてイギリス、イタリアなどとの次世代戦闘機共同開発へと舵を切っています。

編集人は小学生の頃、YSー11に初めて搭乗しましたが、その後は徐々にジェット機が主流となり、滑走路の短い空港を主な路線として就航していった記憶があります。また、知り合いの航空自衛隊員(戦闘機パイロット)から訓練の様子(米空母へのタッチアンドゴーなど)などの話を伺いましたが、戦闘機特有の空間失調や耐重力(5G以上)などの影響から身体への影響は相当なものであり、新たな機能が追加されるたびに航空医学分野の専門家(JAXAなども同じだそうです)の知見が非常に重要なのだと言っておられました。時には、身体への負荷により嘔吐物を自分で飲み込むこともあったと言います。

今後、地政学的な側面から日本と言う国(国土主権)における自衛隊全体での国産戦闘機(旅客機)開発は再開されると思われますが、その過程ではアメリカボーイング社の主力機であるB787型機に使用される主翼部品等の大凡3割程度が日本国内で製造され、中部国際空港(セントレア)からアメリカに送られ組み立てられています。また、自動車製造よりも遥かに緻密で繊細さが必要と言われる航空機製造には多額の研究開発資金と10年単位の時間が必要とのことですから、ホンダ・エアクラフト・カンパニーが開発したビジネス・ジェット「ホンダジェット」シリーズに次ぐ国産機に期待したいと思います。