オフィス鴻

憲法第9条と交戦権

2024年03月09日

編集人が学生の頃から、日本国憲法第9条の戦争放棄・戦力不保持・武力行使(交戦権)否認などについて憲法改正への議論が少しずつですが行われていたと記憶しています。しかし、その後の湾岸戦争、各国の国内政治に中国・韓国の日本領土への侵略的挑発行為頻発を利用するなど、日本を取り巻く環境は様変わりの様相を呈してきています。学生時代には、世界に誇れる日本憲法だと教えられてきましたが、現実の世界情勢を鑑みれば他国の軍隊によって侵略あるいはシーレーンと言う補給路を遮断される可能性は否定できず、また世界の警察と言われたアメリカに影響力の凋落傾向が見え始めてから日米安保体制で本当に日本と言う国が武力行使なくして守れるのかと言う論調も増えてきている気がします。

編集人も航空自衛隊(航空学生)への入隊を希望していた時期があり、現代の最新兵器(大陸間弾道ミサイル、空母、戦略爆撃機など)で攻撃を受けた場合に自衛権(自衛力)だけで対抗しうることは容易でないことは察しがつきます。一時期、防衛費予算はGNP(国民総生産)の2%以内とするルールが存在していましたが、特別国家公務員職である自衛官の定年は50歳代前半から始まるため、少子化等の影響で確実に人員不足が恒常的に発生している状態であること、防衛費予算の多くが日米安保関連であること、自衛官という職業に対する世の中の評価が低く処遇(住宅、装備等)があまりにも貧弱なことなどを鑑みれば、二度と能動的に戦争を起こさない国として憲法解釈の範囲だけで対応することは時代的に難しくなっているのだと考えています。

また、湾岸戦争やイ ラク戦争の時、ウクライナ紛争、イスラエルの侵略行為でも、テ レビやマスコミは最前線での戦闘や避難民の生活について多く報道していますが、 軍隊を動かす兵士たちへの食料・武器補給(兵站)が途絶えてしまえば、防衛とは言えども戦い続けることはできないことは歴史的にも明かでしょう。あくまでも個人の見解として、年に数回(終戦記念日、閣僚の靖国参拝など)は平和を守る必要性について考えることが大切だと感じます。