オフィス鴻

推しと言う文化

2024年08月25日

最近、年齢や性別等を問わず「〇〇推し」に大金をつぎ込む方が増えているそうです。昭和後期であれば、大衆演劇の主役に多くの一万円札をハワイのレイのようにして首にかける方がいましたし、アイドルグループとの握手券や総選挙の投票券を手に入れるために同じCDを何百枚も買う方もいたそうです。現在はSNSが発達して配信中に高額の投げ銭(スパチャ)をするケースもあると聞きます。当然、周囲に迷惑が掛からない趣味の範囲で楽しむ分には何の問題ありませんが、SNS等にあげて一種の快感や満足感を得るにしてはギャンブルと同じで依存症的な病的興奮状態と言えるのかも知れませんね。

以前はオタクと呼ばれていた方は、大人しく慎ましやかに、また多額のお金を掛けずに楽しんでいたように思います。しかし、ビジネスとして考えていくとライブやコンサートで売られている様々なグッズには適正価格と言う概念はなく、単に安い原価で作ったものを高く売ることで収益化(荒稼ぎ)しているようにも見えてきます。昨年、新宿歌舞伎町のホストクラブで多額の売掛金回収のために、未成年であると知っていても風俗店で強制的に働かせるような悪意を持った行為を防止する条例が施行され、実際に逮捕者もでています。記載した事例も、行き過ぎたビジネスの辿り着いた先の姿だろうと感じます。

SNSの発達が犯罪行為を助長している面を否定できない以上、年金問題や生活保護問題と同じように解決が非常に困難なところまで推し活ビジネスが進んでいるとすれば、自己責任論に終始するだけでなく、社会全体の課題として取り上げられる日が近いうちに訪れることも考えられるでしょう。某宗教団体と政治の癒着構造にしても、家族がある許容ラインを越えて歯止めが効かなくなったゆえに自分の生活を守るために元首相を銃撃したとして、一部には減刑を求める署名も集まっているといいます。また、見知らぬ人間と殺人・強盗に加担する世の中と、SNSの利便性を人間の知恵で解決できる日がくえることを期待したい編集人です。