利他心を持った恩人(2)
2023年02月18日
その男性のご厚意で夕刻に松本駅に到着できたのですが、既に車掌さんから知り合いへ連絡が入っていて、迎えに来てくれてました。男性にお礼の言葉を伝えると、その方はすぐに帰途につかれたように記憶しています。「情けない若造の不義理」をそっと見守り、何も言わずに無償で援助してくれた感謝の意を伝えられなかったことに己の未熟さを感じていましたが、疲れもあってか知り合いの家に着いてから食事を頂き、すぐに眠りにつきました。
知り合いは左官業を生業としており、夏休みだったこともあり約1週間松本で過ごしました。ちょうど松本市内にある旧家の外塀修復を行っていて、毎日その現場で手伝い(かえって邪魔だったかも)をさせていただきました。知り合いが「一生に一度の大仕事だ」と言って、大きな旧家の白い漆喰の外塀をつくっていたように記憶しています。今思えば、見えない力や運命(神様が本当にいるのかはわかりませんが)に導かれた時間や出会いだったと解釈しており、このことはその後の自分の人生に大きな影響を与えてくれた出来事の1つになりました。
さて、仏教の教えの一つに、日々善行を行うことで過去の不徳を許してもらうという「徳を積む」という教えに関連して、「陰徳(人に知られずに見返りを求めない善行)」「陽徳(人に感謝されたり褒められたりすること)」という言葉があり、その男性の行動はまさに陰徳を積まれていたのでしょう。また、自分のように障害があってもできること(たとえば「ありがとう」と感謝の意を伝えること)はできます。「因果応報」という教えもありますが、編集人は一般的には自分の行い(善悪)は巡って自分に返ってくるという意味の教えで理解するよりも、前世より来世の人々に自分の積んだ徳が周囲の人々の喜びとなり、また未来の自分に力を与えてくれるためにあるものだと理解するようにしています。