褒められたときの行動
2024年04月05日
昨年のブログでご紹介した福厳寺 31代目住職の大愚元勝(たいぐ げんしょう)氏が、褒められたことへの受け止め方(返答)について自説を述べられていました。内容は「三流の人は調子に乗って舞い上がる」、「二流の人は謙遜して力んでしまう」、そして「一流の人は素直にありがとうと言えるセンスの良さと嫌味が無い」と言うものでした。社会に出ると知らず知らずのうちに他人との比較をしがちだと言われますが、小さな努力を続けることや他者からの評価を客観的にありのままに受け止められることは価値ある才能であると思ってしまいます。もし、働き盛りの中高年になって自ら悪しき習慣を止めて善きことを行い続ける(徳を積む)ことは、一部で流行している「ちょい悪〇〇〇」などは本人が気づかないうちに悪い気や人を引き寄せない効果があるように思いますし、ビジネスシーンにおいても余計な一言で一瞬で信用を失う場面にも出くわしました。
また、人間は命ある生き物ですから、中高年になると徐々に老化が始まり身体の機能(特に記憶力)が衰えてきます。会社組織に勤めていた時には先程の言葉と正反対に自己弁護(言った、言わない、聞いた、聞いていないなど)をする人の多くはある程度の役職者に多かった記憶があり、それらの矛盾に部下が悩み苦しみから逃れようとすれば精神的に病んでしまうこともあるでしょう。厚生労働省の資料でも障害者手帳(精神障害者保健福祉手帳)保持者や障害年金受給者など、精神疾患に起因する障害者福祉対象者数に占める割合が6割を超えていることが明らかになっています。
なお、時代錯誤感は拭えませんが江戸時代の武士の心得として「武士道とは死ぬことと見つけたり」という葉隠(鍋島藩山本常朝)の言葉を現代風に解釈すれば、「覚悟を決めて前に進み続けること」であり日本的な処世術に通じるところがあると考えています。仕事で失敗したり嫌な思いをすることは少なくありませんが、切腹することはありませんから階段を一段ずつ上り続けることを大切にして生きていきたいと思っています。