オフィス鴻

論語(先進)

2025年12月14日

論語の先進編に次の言葉があります。一部省略しますが「顏淵死,子哭之慟。 從者曰子慟矣。 曰有慟乎。非夫人之為慟而誰為(顔淵死す。子哭(こく)して慟す(どうす)。従者曰く、子慟せりと。子曰く、慟することありしか、夫の(かの)人の為に慟するに非ずして誰が為にか慟せん。)と言う内容です。編集人なりに解釈すると、毎日がを天命に従って活かす方法としては子罕(しかん;まれにしか語らないこと)を大切にし、私利・私欲を慎み後進のためになるよう道徳を守って行動することが肝要だと考えています。つまり自身の努力以外んも部分でも怠る行動は愚かであると思えるのです。

もう1つは「子曰く、吾知ることあらんか、知ることはきなり。」という一節です。もう少し詳しく述べると、仮に自分が全てのことを知らなかったとしても、決して否定せずにしっかりとした受け答えをすることが大切だと理解しています。現代社会においては自分の立身出世を第一に考えるあまり、他者を蹴落としたり大切にしない方がいます。編集人の社会人時代には、何となく違和感を覚えた時には、例え短い時間(1時間程度)でもその人の話を聞く時間を設けていました。そして極力聞くことに徹することで、背景にある不安・不満などを自分なりに考えることを心掛けていました。

つまり先進とは文学者・哲学者等の論語の解釈とは異なる可能性があることを承知の上で述べるとすれば、自分の良心に従がえるような日常生活を送ることで正しい判断や思いやりなどを他者への義務的配慮として実践できる能力のことだと考えているのです。もちろん全ての行動が良い結果を齎すことはありえないにしても、編集人の考え方の一部であっても他者にプラスになれば幸いだと感じています。