オフィス鴻

死と向き合うこと

2025年06月20日

編集人が難病発症を感じ始めてから既に10年以上が経過しました。しかしまだ完解療法はなく、症状悪化を少しでも遅らせる治療を続けています。最近様々な医療に関する新たな取り組みが始まっていますが、製薬会社も患者数が少なく収益性の面で希少疾患に対する積極的な研究開発(R&D)を行っていないのは企業経営上に於ける必然性を感じます。このコラムでも高額療養費問題など自説を綴ってきましたが、最終的には当たり前のように医療機関に気軽に掛れる日本の保険制度も時期が来れば破綻してしまう危険性を孕んでいると考えています。救急車をタクシー代わりに利用する、選定療養費の徴収などで救急搬送・時間外救急外来などが全国的に減少傾向にあることを鑑みれば、当然の帰結だと思います。

さて表題の「死と向き合うこと」ですが、編集人は家族・主治医共に延命治療を行わないよう依頼するとともに出来る限り自宅での看取りを希望している旨を伝えてあります。もちろん誰でも人生で1回死を迎えることになるのですが、正直編集人も死を迎えることがどんな状態なのかは想像もできません。ただし死を肯定的にとらえて向き合うことは誰でもできるとも思っています。このブログを書いている3ヶ月後に悪性腫瘍発覚時に告知された平均生存率(5年)の時期を迎えるのですが、まだ腫瘍マーカーは有値であり恐らく身体のどこかに原発不明の腫瘍が隠れているようにも感じています。最近は死への恐怖感は多少残っていますが、それよりも生きている間の過ごし方を充実させようと考えるようになりました。

編集人が罹患している免疫疾患はセカンドオピニオンを含めた医師の方々でも突然予期していなかった症状が発現することが多々あります。ここ数ヶ月は意識朦朧としていて救急隊員や看護師の方の呼びかけにも応じられないことや、ある時間帯(症状が出る前後)の記憶がないこと、食事中に突然意識を失った状態になること等も増えてきました。こればかりは自分でコントロールできませんので自分で出来ることをしていきたいと思っています。