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諫早湾干拓事業の功罪

2024年12月05日

諫早湾干拓事業は、昭和27年に当時の食糧難解決を目的として、造成干拓地面積約942haを稲作農地にすることを目的に計画され、約51年後の平成11年から着工されました。これだけ計画から時間を要した公共事業は他にもあり、首都圏では環状八号線の一部区間の土地収用難航(現在は開通済み)や、その他の防災・渋滞緩和等を目的とした道路拡張工事がとん挫しているケースもあります。この諫早湾干拓事業もその後の予算抑制・減反政策・環境配慮等により、規模を約3割に縮小して実施されましたが、最終的には日本でも稀な満潮・干潮時の5mの潮差があり、付近の河川のは氾濫等で多くの被害が出ていた地域であることなどが国の政策を後押ししたとも言われています。

対象となった有明海は昔から干拓が進められていましたが、有明海の生物はエツ、アリアケヒメシラウオ、シロチチブなど世界でも他に存在しない種や、ムツゴロウやワラスボなど国内では有明海以外にはいない種がなど希少な生物が多く存在していることもあり、現地でも賛成派(主に農業従事者)、反対派(主に漁業者)がそれぞれの主張をしていました。当時の総事業費が約25百億円で、ギロチンと呼ばれた仕切りの鉄門がドミノ倒しのように閉められた光景は編集人は今でも覚えています。閉門後は大雨時の排水不良・人家被害ほ殆どなく人命安全・財産保全が図られた一方、干拓地側の河川から流入するプランクトン等が有明湾に入らなくなり、漁業従事者は漁獲量の減少の影響を受けています。

この事業を巡り、開門の是非を争った裁判では地裁・高裁の判決が異なるなどしたため、2023年に最高裁で非開門が決定されました。しかし、先述のように漁業(特に海苔)への影響は大きく、また干拓地内の土地から古い漁網などが出てくるため大型機械が使えないエリアがあるなど農業従事者側にも課題が出てきています。そのため国は漁業関係者の100億円の有明海再生事業基金を設立して補償する方針を示しましたが負担を巡って揉めているようです。