オフィス鴻

老害を考える

2025年06月13日

これまでこのブログでも高齢者のわがままな行動について持論を述べてきました。言葉に表現すれば「老害」となりますが、恐らく加齢による脳認知機能の低下と社会性が他人との有効なコミュニケーションを阻害しているものと考えています。いずれ編集人も高齢者になるでしょうから、周囲の方に迷惑をお掛けしたくないというのが本心です。日本人の特性の1つに集団性があり、個人主義や自己責任論などはあまり受け入れられていないのが現状だと考えています。その結果、我儘な老害が多くみられるのではという仮説を基にすれば伝統的な社会秩序が関連している可能性を否定することは難しいでしょう。

例えば編集人は40歳代で2回目の大学生として新たな知識・教養を取り入れてきました。その結果、大学院で編集人の専門領域である中間流通に企業で養った経営管理・人事戦略・ロジスティクスと言った複数の経験値を組み合わせながら、難病治療で企業内での第一線は引退したものの現在でも誰かのお役に立てていることに感謝しています。全く未知の世界に飛び込むような場合も人によってはあると思われ、編集人のように体は不自由でもSNS等を駆使すれば新たな人生が送れる可能性もでてきます。これは一律的にどれが正解という性質のものではありませんので、自分自身の価値を見出していくことで老害から身を守ることができる蓋然性を示しているように感じます。つまり、誰でも自分の人生を変えていくだけの力量をもっているとも考えられるでしょう。

さてある高齢者がSNS等で普段の生活や趣味などを発信をしたところ、意外なことに相当数のフローワーが見ていることがあったそうです。つまり仕事では無くても、人から刺激を受けることで脳の活性化に繋がっていると思われる好事例だと思います。現役世代でもリモートワークが孤立感や惰性を産み出すことは最新の研究でも明らかになっているそうで、やはり人間と言う生き物は適度な社会との関係性維持が欠かせないように作られているのだと考えています。