オフィス鴻

病院での看取り

2025年06月17日

編集人が難病を罹患してから約10年が経過しました。毎年数回の入退院を繰り返していると、入院病棟で様々な人生を送る方を見ることになります。そこで思うことは「家族・友人との繋がり方」と「どのように看取られたいのか」ということで、少し切ないような感覚にはなりますが非常に大切なことだと考えています。日本人の1つの特性として死生観に関する話題はあまり歓迎されませんが、入院している時にこそ「これからの人生をどうしたいのか」という人間の本性が垣間見れるような場所のように思います。なぜなら死は誰もが経験することですが、誰もその事実を現世において経験することはできないからです。そのため自分なりの死生観がなければ、残された人生を心豊かに過ごすことが難しいように感じるからです。

編集人の場合は10年間の内7割は原因不明の病気(自己免疫介在性脳症)を探り当てるための時間で、正直に言うと最も過酷でしんどい時間でした。しかし原因である抗体が判明したことで今後の様々なことをまっすぐに考えられるようになったことは事実です。竹内まりやさんの曲に「人生の扉」という曲があります。この歌詞には20歳~90歳代までの生き方のヒントが簡潔な言葉(英語の歌詞ですがすぐ理解できると思います)で表現されています。結論的になりますが自分の寿命を上手にコントロールできるならば、人間だれしも死への恐怖よりこれからの生き方に対するそれぞれの考え方が生き様に反映されてくることでしょう。編集人の場合は特殊な例だとは思われますが、自分の考え方を伝えられたことが現在の本当の自分であると考えています。

表題の看取りに関しても、周囲の方に大きな迷惑を掛けずに生きることがどれだけ難しいのか考えさせられるものです。編集人自身は自宅で最小限の治療と脱延命治療ができればそれで十分だと考えています。現代科学では120歳まで平均寿命を延ばすことは可能とされ、そこに「自分らしく生きる」ことを反映出来たら良いなと思います。