日本の七二侯(立冬)
2025年11月01日
編集人が立冬で思い出すのは、昭和時代には現在よりも寒い日が多く木枯らしが舞うような季節だったことです。また小学校の同級生が新聞に投稿した「秋風に 木の葉が舞うよ 遊歩道」という俳句を思い出します。当時はこの季節になると夜鳴きそば(チャルメラ)や焼き芋屋を街中で見かけるようになり、冬の風物詩の1つとなっていました。ただお世辞にも清潔とは言えない屋台や移動販売車でしたが、不思議と魅力があるように感じられたものです。特に焼き芋販売は地方からの出稼ぎ者が多く、価格は子供には小さな端切れのような芋を低価格で販売してくれました。
また今でこそ街中ではほとんど見られませんが、拾い集めてきた落ち葉を庭で焚火する家庭もありました。最近は近所迷惑や延焼防止のため、焚火ができる場所もどんどん少なくなっているようです。また立冬の頃にはこたつを準備する「こたつ開き」という行事があり、ニュースでは兼六園の雪吊り(木の枝が折れないようにする作業)が報じられる季節でもあります。さらに出雲大社では八百万の神様が集まって話し合いを行う神在月(別名は神無月です)であることから、多くの行事が執り行われます。
もう1つは近所の神社などで七五三を祝うお参りが行われていたことを思い出します。七五三の起源は諸説ありますが、一般的には子供は幼いうちに命を落としてしまうことが多かったことから健やかな成長を祈ったと言われています。また千歳飴は「飴のように長く伸びる」ことを「長生きする」になぞらえ、「千歳(千年)」まで長生きしてほしい」という思いが込められていたとされています。また袋には能の高砂から縁起の良い「翁と媼(おうな)」「相生の松」が描かれ、鶴亀(千年万年)が描かれることもあります。その他には地域ごとに特有の習わしがあるようですね。



