オフィス鴻

P&G社と商慣習

2025年09月18日

P&G社といえば編集人が専門商社に在籍していた1990年後半に日系他社とは異なる販売施策を打ち出し、その後編集人の専門分野となる中間流通事業に関する非常に多くの知見を賜った企業です。当時は消費財メーカー営業担当者は如何に卸問屋を介在した商流をコントロールするのかが最大のミッションであり、小売業のシェルフ・ゴールデンゾーンやレジ傍の特売ブースを確保するために競合他社と鎬を削っていたのです。そのため卸売業の物流施設(倉庫)は年末繁忙期や年度末には溢れんばかりの商品がメーカーから持ち込まれ、入らない在庫は外部倉庫を使っていました。

その対応としてある小売業に対してCPFR(Collaborative Planning Forecasting Replensihiment)という「需要予測と在庫補充のための共同作業」の実証実験を開始して、メーカーと小売店が在庫の最適化や欠品防止を図るための取り組みを行いました。このころから同社のセールスは上記の押し込み的手法からカテゴリー担当制に代わり、小売業との商談についても利益第一へと変化していった記憶があります。この視点はセールスからマーケティングへと変化するだけでなく、消費者ニーズを見据えた提案手法を導入しており他社との差別化を進めていく大きな力になりました。

しかし外資系企業であったため、従業員が40歳代くらいになるとカテゴリー・マネジメント手法やディシジョン・メイキング手法などを武器に他社へ転出する方も多くいました。ちょうどその頃には花王社が代理店制度を廃止して直販体制に切り替えたこともあり、P&G社と花王社の一騎打ちの様相を呈し始めました。日系企業ではライオン社やユニ・チャーム社が販売量を拡大させており、その後の日本経済の停滞(デフレ)によって小売業の力が増してきた時期です。編集人は中間流通の大波に飲まれながらも、同社とお付き合いできたことは今でも有形無形のビジネス上の財産になっています。