不条理を受け入れる
2023年07月16日
道理だけでは説明できない社会や企業における「不条理を受け入れる」ことについて考えたいと思います。一般的に「不条理」とは、自分自身の意思によらない出来事・境遇・仕事など、自身の努力だけでは変えられない場合に用いられます。何方かと言えば、生まれ持った運命を指すのですが、 似た言葉に「理不尽」があります。他人の言動が理屈に合っておらず、筋が通っていないため納得性がない場合などに用いられます。編集人は、まだ理不尽の方が何か打つ手がありそうな感じがしますよね。
例えば、企業で働くことや、生活圏にある地域コミュニティ(例えば、マンションの管理組合やPTA活動など)への参加などでは、一見同じような生活レベルや考え方をしているように見えても、それぞれの生活環境や思惑の違い、中には妬みなどによる中傷行為もあります。また、最近〇〇ガチャという、生まれ・育ち・配属先などを自分の意思で選択できない事柄の不条理性について、他責にする傾向が強いように感じます。特に配属ガチャを否定的に受け取る方もいますが、未知の分野での思考や価値観を知る、自分の得意・不得意を客観的に知るといういう意味では、給料を頂戴しながら新しいことに挑戦でき、自分から進んで仕事に取り組めば社内に顔を覚えてもらったり、構想力を鍛えるビッグチャンスであると思います。
編集人の例で恐縮ですが、ある目的(過去最大の航空業界不況と、操縦士試験の2次・3次適性試験不合格が重なった)のため某国立大学の仮面学生生活を経験しました。実は一番楽しかったのは学部での授業でもサークル活動でもなく、他学部の授業に潜り込んで専門外領域の学問に刺激を受けたり、東大キャンパスまで出向いて気になる授業を聴講することでした。結果的に、不条理を受け入れる形で3年間の仮面学生生活に自ら終止符を打ちましたが、その中でも複数の自分の居場所を作ることができたことに感謝しつつ、その後の人格形成に大きな影響を与えてくれたと思っています。