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COFFEE TIME(藤堂高虎)

2025年07月01日

藤堂高虎という戦国武将は伊賀上野地方を統治した戦国時代に活躍した方で、仕える主を変えながらも徳川家康から絶大な信頼を得て30万石強(30人分の米(給料)に相当)まで上りつめた大名です。一見世渡り上手で時代に対する先見の明があったとも言えますが、遺訓200ヶ条に記された彼の遺した名言があります。先日ある地方TV番組で報道されていましたが、その内容は現代人の生き方にも通ずるものがあるのだろうと考えています。比較的平易な言葉で書かれていますが、その内容は戦国時代を生き抜くための哲学的思想に触れる真髄が含まれていると編集人は考えています。没後には日光東照宮の家康像の隣に安置されたことからも本当に信頼されていた証だと思います。

この遺訓200ヶ条(実際は204ヶ条の様です)は家臣であった太神朝臣惟直によって書き記されたと言われています。特に病床にあった徳川家康に藤堂高虎が「来世も徳川家康様にお仕えいたします」と言ったというエピソードも残っているくらいですから、その忠義の心は本物だったのでしょう。

今回は9項目(条)を取り上げていきますが、立派な功績を成し現代に通ずる名言を遺した高虎の人柄を中心にして編集人なりの解釈を加えていきたいと思います。なお参考文献として「藤堂高虎公と遺訓二百ヶ条(著:福井健二 公益財団法人伊賀文化産業協会)」から一部引用しています。